吉田知那美の経歴、出身高校はどこ?戦力外通告の理由は確執だった?
2018年平昌オリンピックカーリング女子日本代表選手の吉田知那美選手。カーリングはかなり調子がいいということで注目が集まっていますね。
美人な選手が多いカーリング女子ですが、吉田知那美選手も美人で可愛らしい選手ですね。どんな人物なのか気になったので経歴や出身などを調べてみました。
吉田知那美の経歴、出身高校はどこ?
吉田知那美選手は1991年7月26日生まれの26歳です。同じチームの藤澤五月選手と同い年ですね。
北海道常呂郡常呂町(現北見市)出身です。この常呂郡常呂町はカーリングの有名な地ということで、いろんな選手を輩出し、施設や環境も整っているそうです。
吉田知那美選手はこの地で小学校2年生の頃からカーリングを始めて、4年のときには大会などにも出場していたそうです。
北見市立常呂中学校に入学したあとは、妹や同級生の小野寺佳歩選手と一緒にチームを作って、そこでスキップをやるなど中心的な選手として活躍しました。
スキップというのはカーリングで司令塔的な役割を担う重要なポジションです。若い頃かスキップをしていたということで実力は高かったのでしょうね。
日本カーリング選手権では予選でトリノオリンピック代表だったチーム青森を破ったこともあるなど中学生とは思えないような実力があったそうです。同級生で仲も良かったでしょうし、チームワークやチームの雰囲気も良かったのでしょうね。
高校は北海道網走南ヶ丘高等学校で、ここでも常呂中学校時代の仲間とチームをくんでいましたが、進学先が異なるなどして十分な練習時間が確保できずに成績もあまりよくなかったそうです。
吉田知那美の高校卒業後の経歴は?
高校卒業後は語学留学のためにカナダのバンクーバーへ。そこでの下宿先がカーリングのコーチであったという縁で改めてカーリングを習ったそうです。
帰国後は小笠原歩選手の誘いもあり、北海道銀行で嘱託行員として仕事をしながら「北海道銀行フォルティウス」というチームに所属して活躍していきます。
そして2014年にはソチ五輪に出場しています。メダルの獲得はなりませんでしたが、5位と健闘しました。ちなみにカーリングは1998年の長野オリンピックから正式種目としてなっているそうです。
ソチ五輪後に北海道銀行フォルティウスを退団することになります。このときに退団理由が戦力外通告と言われています。五輪で5位と健闘したのになぜ戦力外通告を受けてしまったのでしょうか。
吉田知那美が戦力外通告を受けた理由とは?
オリンピック後に戦力外通告を受けた理由についてはネット上でもいろんな噂があり、北海道銀行と確執があったのではないかとも言われているそうです。
ソチ五輪のわずか1ヶ月後に戦力外通告というのも異例ということでこうした憶測が流れたようです。カーリングはチームプレーが大事ということなので、チームと仲が悪くなったのではという噂がでたのかもしれませんね。
実際に確執があったのかは情報がないので分かりませんが、実力的に他の選手とくらべて精彩を欠いていたというのはあったようです。技術やメンタル面の不足は本人も感じていたらしく、自信を完全になくしてしまったそうです。
こういう挫折は本当につらい経験ですよね。
戦力外通告を受けて苦しい状況のなかで救いの手を差し伸べてくれたのがLS北見の本橋麻里選手でした。引退も考えていた吉田知那美選手でしたが、本橋麻里選手の熱心な説得もあり、LS北見への加入を決意します。
そこで本気でオリンピック出場を目指し、厳しいトレーニングをしていき、素晴らしい技術をもった選手へと成長していきます。
藤澤五月選手とはじめ年齢が近いメンバー同士で雰囲気もよくて、先輩に頼ることなく、自分たちの頭で考えるようになり、カーリングの戦略とかも向上したのかもしれませんね。
藤沢五月(カーリング)の性格、人柄、評判は?移籍理由はスカウト?
平昌五輪のカーリング女子代表は本当にいい雰囲気だし、素敵なチームですよね。カーリングはチームワークも大事でしょうし、年齢の近いメンバーでいい関係が作れているからこそいまの平昌五輪での活躍もあるのではないでしょうか。
チームのムードメーカーとして明るい笑顔でプレイする吉田知那美選手は本当に素敵ですね平昌五輪でのさらなる活躍を期待しています。