仁志敏久は原辰徳と不仲で確執があった?理由は性格が合わなかった?

      2020/08/08

巨人のセカンドとして活躍し、現在はU-12侍ジャパン監督などで活躍している仁志敏久さん。野球選手として小柄ながらも打撃力があり、守備も上手いということで長嶋巨人を支えた名選手でしたね。

 

仁志敏久さんについて調べていたら、原辰徳監督と不仲とか確執があるとの噂を見つけました。気になったで本当かどうか、理由はなんなのか調べてみましたので紹介していきます。

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仁志敏久は原辰徳と最初から不仲で確執があった?

仁志敏久さんは普通の選手とちょっと違う雰囲気があり、インテリとか頭がいいという印象のある選手でしたよね。早稲田大学人間科学部に進学し、大学野球でも活躍し、ドラフト2位で巨人に入団します。

 

原辰徳さんは入団の前年に引退していて、背番号8を仁志敏久さんが受け継ぎました。仁志敏久さんは幼いころから原選手のファンで少年時代に懸賞で原選手のサイン入りバットを手に入れたこともあるそうです。

 

1996年の入団初年度で巨人の野手では原辰徳選手以来の新人王を獲得するなど活躍していきます。

 

仁志敏久さんにとっては原辰徳さんは憧れの存在だったことはたしかですし、しばらくは不仲とかではなく、良好な関係だったようです。憧れていた選手ですし、不仲になるような要素とかはなさそうですよね。

 

いつから不仲になってしまったのか気になるところですよね。

仁志敏久 原辰徳 確執

仁志敏久は原辰徳と不仲で確執があった? 理由は性格の違い?

仁志敏久さんと原辰徳さんが不仲になったのは2002年に原辰徳さんが巨人の監督に就任してかららしいです。

 

原辰徳監督は仁志敏久選手を2番に起用していました。しかし、その後、打撃不振になってしまい怪我もあって二岡選手にポジションを奪われてしまいます。復帰後も上の打順で打たせてもらうことができずに7番や8番といった打順にさせられてしまいました。

 

こうした起用法について不満を感じていたのではないかといわれているようです。2006年に原監督が復帰したときも仁志敏久選手は7番、8番に起用されることが多くなり、怪我などもあり、このシーズンで監督の構想外になってしまいました。

 

そして、シーズンオフに自らトレードを志願して横浜に移籍しています。詳しい内情はよく分かりませんが、性格的に合わないというのがあったみたいです。

 

仁志敏久さんは性格的に頑固で思ったことをズバズバ言って自分をあまり曲げない性格らしく、それが原辰徳監督の気に入らなかったのではないかと言われています。

 

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仁志敏久さんが匿名で原監督を批判していて、それを原監督が知り、険悪になったのではと言われているみたいです。原監督は選手の忠誠心を重視していて、選手が監督を批判するということは許せなかったのかもしれませんね。

 

仁志敏久さんの強気で監督に対しても臆せず批判する態度などが災いした可能性がありそうです。

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仁志敏久と原辰徳は現在も不仲なの?

仁志敏久さんと原辰徳さんは現役時代にはたしかに反りが合わなかったということもあったみたいですが、お互いに本当に嫌い合っていたわけではないようですし、そこまで不仲で確執があったという感じでもないようです。

 

そう考えると現在はそれほど不仲という感じではなく、別に仲も問題ない可能性が高そうです。憶測になってしまいますが、普通に仲は悪くないんじゃないでしょうかね。

 

仁志敏久さんは指導者としてもかなり優秀みたいですし、今後の活躍に注目したいと思います。

 

 

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